今更だが自分が感じた日記系、というより、同じ書式で時間が経つにつれて増えていく増加系コンテンツの構成方法について書いてみる。
上のリストはどれも増加系コンテンツだが、それぞれ構成方法が異なる。取り扱う内容は違うので正確に比較することは出来ないが、上から下に行くにつれて各記事の独立性が高くなる。
まず、闇黒日記だが、これは完全に日記だ。「日記として」各記事が存在するため「情報を参照する」という点は重視されていない。各記事は時系列沿って並べてあるだけで、過去の記事の参照も「2003年12月1日~31日」といった時間を基準にした方法でのみ可能である。また、各記事間の境界は非常に曖昧である。一般にblogと言われる物はこれに近い。
次にagendaだ。時系列にそって記事を並べてはあるが、分野ごとの記事一覧を参照出来るため「情報を参照する」ための手段が与えられている。これは作者のそふぃあ氏が単純な日記としてよりも「情報の提示」を重視しているからだと思われる。これにより各記事の情報としての価値が高まり、時系列に並べられてはいるが各記事はある程度の独立性を持っっている。
妖精現実は完全に各記事が独立している。時系列に並べられてはいるが、日記とは全く違う物だ。各記事がそれぞれ1つのXMLファイルになっているぐらいなので当然だが、時系列から切り離して1つ1つのページにしても成り立ってしまうぐらい独立性、情報としての価値が高い。
このサイトのArticlesも最初は妖精現実と同じ構成方法を取ろうかと考えたのだが、結局記事をページごとに分けることにした。その理由は単純だ。
まず、自分がagendaの過去の記事を参照する際、時系列に沿って読んでいく、ということはまず無い。当然、妖精現実ならもっと無い。過去の記事を参照する場合目的が決まっている事が多いため、独立している記事をピンポイントで参照する事が多い。
情報の提示を目的として記事を積み重ねていく場合、時系列はさほど重要ではない。観覧者に必要なのは独立した情報の一覧のみであって、関係ない情報が並んでいる日記形式のコンテンツは意味をなさない。
では、なぜそこまで記事の独立性が高いのに1つのページとして構成しないサイトが多いのかというと、自分でやってみて分かった気がする。
まず、日記形式の1番の利点、気楽に書ける事だ。1つのページにするには内容が短い記事も日記のように複数の記事がつながった構成なら違和感が無い。ただ、本当の日記コンテンツならこの点は非常に大切なのだが、妖精現実のような「日記形式にしてるけど内容は日記じゃないよ」系コンテンツの場合は情報の価値が内容の長さとは無関係に高いことがあるので、短い記事を1ページにしてしまっても問題が無い場合も考えられる。
次に、他のサイトとの交流の面で、独立したページにするとやりにくいことがある、かもしれない。交流したことがないのでまだ分からないが、Aというサイトの記事にBがコメントを付けて、それに対してまたAが次の日にコメントを付ける、というやり取りは日記形式の方がやりやすいと考えられる。
また、ページに分けることによって記事の独立性が高くなりすぎる事もなかなか問題である。「1ページ=1コンテンツ」というイメージがあるため、1つの記事を保守しなければいけない気がしてくる。日記なら書いてしまえばその後手を加える事はあまり無いし、後で思いついたことは新しい記事として書くだろうが、1ページとしている場合はなぜか過去の記事に追記として書きたくなってしまう。
少々脱線するが、Movable Typeの良いところは気軽に書けるのに、自動でカテゴリごとの分類がされるため情報としての価値がそれなりに上がる点ではないだろうか。
書いていたらなんで自分は日記形式しなかったんだ、という気がしてきたが、独立ページ型もそれなりに気に入ってはいるのでしばらくはこのまま続けたいと思う。